みんなの意見で社会が滅びないために

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/86/trackbackより。

小児医療費の無料化から話が始まる。

今はそれでも、「時間外」であることが、わずかながら抑止力にはなっているけれど、これが「無料」になってしまうと、もう歯止めがかからない

ただでさえ小児医療は問題になっているのに、なぜこんな異常な制度が作られるのか?

キーワードは

・「多数決の力」
・「嫉妬の最小化」

のようだ。


■黒幕はいない

分かってる人は分かってる。しかし、多数決の原則の流れを止める力はない。

・例えば、誰かが「小児科医療無料化」を打ち出す→無料に反対する理由はないから、その候補者には票が集まる。
→分かっている人も「無料化」を叫ばないとそもそも議員になれなくなる→無料にすると叫ぶしかなくなる。
・現場が吹き飛んで、はじめてその時、犯人捜しが始まる。
・あとから犯人扱いされる人達は、たしかに破綻の特異点に立ってはいたけれど、誰にもたぶん、そんな流れを止めるだけの力はなかった。

これは事実だと感じる。


■「成果の最大化」と「嫉妬の最小化」
・最大の成果を打ち出す方法は分かっている人には分かっている。
・しかしそれがたとえ全体最適を約束する方針であっても、社会制度が多数決で回っていくかぎり、大勢が「痛み」として感覚され得る方法は選択されない。
・多数の人に恨みを買った政治家は、次の選挙で落選してしまうから、「成果最大」と「嫉妬最小」とがぶつかりあう状況になると、「成果最大」はしばしば選択されない。

ここでは、嫉妬を最小にするために、無料化という「間違った」やり方が押し付けられることになる。


■「いい独裁者」の例
・上手な独裁者が支配する独裁国家と、良くできた民主主義社会とは、しばしば似たような振る舞いかたをする
・「いい独裁者」には、全体最適な政策と、個人の思惑とに葛藤が生じない。独裁国家は、だから案外うまく行く。
■結論
・みんなの意見を集積しながら回していく限界みたいなものは、今あちこちに出ている。
・部分的な「独裁」を受け入れるやりかたは、一つの正解として、これから増えてくるのだとは思う。

ということだ。



■所感

確かに部分的な「独裁」はこれから増えるかもしれない。
いい方に転がれば上手くいく事例も出てきてもおかしくない。


けれど

部分的な「独裁」が増えてきた頃に果たして間に合うのだろうか??

まずそこが疑問だ。


すでに小児医療は問題を抱えているのに、無料化なんていう方向に突っ走ったらバタバタ倒れるのが目に見える。
そのスピードは速いとしか思えない。

それに対して、「独裁」が部分的なものででも浸透するとなるとどれだけ時間がかかるのだろう?

「独裁」なんてそもそも日本人になじまなそうなものだ。
仮にそうなるとしたら、バタバタと病院が倒れまくって、どうにもならなくなったときに
ようやく実現されるようなものじゃないだろうか(それこそ多数決がそれを選ぶまで、かもしれない)


「いい独裁者」に成り得る人がいたとして、その人が独裁できる立場に立てるという状態も簡単ではない

とも思う。

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私が感じるのは、理想論かもしれないが、
やはり

正しい対策を理解している人間が何かの行動を起こして、地道に継続し、
各地の病院がバタバタ倒れだしたときに、「あそこのやり方はいい」と言われる
「良いロールモデル」を示せている状態であることで、「多数決」の力を振り向かせる

のが最短なのではないだろうか。

難しいことではなく、仮に現在無料化が話し合われているなら

単に「無料化」を先延ばしにしておくだけでも良いロールモデルには成り得る

のではないか。




その後、もし何とかまわしていける状態になったときに、

多数決ルールで回ってる社会に、「部分的な独裁」が良い方向に働きそうであればそれを受け入れてもらえるように動くこと

も忘れないことだ。
多少なりともスムーズになるのではと思う。病院が倒れるという「痛み」を多少なりとも実感した後であれば。





要するにバタバタ倒れだしてから動き出したとしたら、取り返しのつかないことになるのではと心配なわけだ。
小児医療という重要なインフラの1つが、仮に県庁所在地あたりまで行かないと無い、なんてことになったら
洒落にならない、ということだ。
「医者になんかなりたくない」と子供達に感じさせてしまうことだって、危険になりえるのだし。



「みんなの意見を集積しながら回していく限界みたいなものは、今あちこちに出ている。」
とある。それならば、どんな問題に対してであっても、

草の根的にでも、今問題を理解し、最善策を理解している人間の努力が必要だ

と感じる。