落ちこぼれてエベレスト

野口健さんのエッセイです。

落ちこぼれてエベレスト (集英社文庫)

落ちこぼれてエベレスト (集英社文庫)

コンプレックスから奮起した登山から、7大陸最高峰登頂まで。
数々の挫折を繰り返しながらも、大目標を達成していく様子が語られています。

登山はスマートに進むスポーツではない。
自然との過酷な戦い。

胃液が逆流した(p.282)
高山病で顔が膨れ上がっている者がいる。(p.294)
凍傷で顔の皮がグジュグジュになっている者もいる。(p.294)

世界レベルの登山のリアルが伝わってくる文章が出てきます。
これは体感しないと分からないでしょう。
私も富士山を登頂したことはありますが、上記のような人間はいませんでしたから。



あとがきから抜粋になります。

3年間エベレストの清掃登山をしながら気づいたことは、ゴミを捨てていく登山隊と
きれいに持って帰る登山隊の出身地が地理的に分かれるということだ。
例えばゴミをきれいに持って帰る登山隊の代表的なのはデンマーク、オーストリア、
スイス、カナダ、オーストラリアなど。
その反面、ゴミを残して帰ってしまう登山隊は日本、韓国、中国、ロシアといった
国々だ。(p.302)

ゴミをきれいに持ち帰る国=その国がきれい
であり、環境に対する取り組みや意識が高い。

その反面、エベレストを汚す登山隊の出身国はやはり汚されている。
国民性が現れている、と。


・屋久島
・白神山地

勝手に世界遺産にされ、後は全部地元に押し付ける。
観光客がやってきて森はゴミだらけ。国はゴミだらけ。
などの現実も初めて知りました。

富士山も同じだ。

30万人がひと夏に登る。そこで垂れ流される糞尿は必ず麓の湧き水を汚染するだろう。
環境省のお役人も「汚染されたデータがなければ。。」というのが現状。
野口氏ほどの登山家でも、登頂した瞬間に自動販売機がズラリと並んでいたのは富士山だけ
だった。
世界遺産に登録されなかったのはゴミ以前の問題だろう、と。


環境環境というが日本は確かに中途半端だ。

■所感

野口氏のエッセイは、登山のスタートに始まり、環境問題への危惧と挑戦で結ばれていました。
野口氏を始め、登山家を応援したいという思いと、自分も富士山以来登っていない登山への興味が涌きました。
しかし1番頭に残ったのは、あとがきの部分でした。

ゴミをきれいに持って帰る登山隊の代表的な国
・デンマーク
・オーストリア、
・スイス
・カナダ
・オーストラリアなど

そうではない国
・日本
・韓国
・中国
・ロシアなど

との違いは何なのだろうと疑問に思った。
お国柄だとしたらそれはいったい何なのか。


そのアンテナを持っていたいと感じました。



野口氏は世界共通の視点を持っていないのに目先の利益にしがみついている人々が国政・県政
の舵を握っているのを見るとあるメッセージを思い起こすそうだ。

われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、
本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態に落ち込んでゆく
のを見た

三島由紀夫氏の檄文である。